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インタビュー・カンボジアで出会った日本人(5)

今日のカンボジアで出会った日本人はCONY JAPAN International Cambodia co.,ltd社長の小澤 貴也さんです。

彼がカンボジアで社長として活躍する現在を紹介するには、少し時を遡る必要があります。

彼は神奈川に生まれ、神奈川で育ちます。そして19歳の時に映画や雑誌で見るような典型的なアメリカ文化への憧れから、NYの自由の女神を見ながら、スターバックスの珈琲をすするような生活を送ってみたいという思いを抱きます。

そして色々と想像を膨らませている内に、彼はあることに気付きます。

『その歳まで嘘みたいですけど、神奈川県を一歩も出たことがなかったんです。この状態で世界はちょっと厳しいかなって。』

ちょうどその頃、彼は入学した大学で福島県出身の学生に出会います。

神奈川県から一歩も出たことがない彼にとって、東北の訛りは初めて聞くもので、漫画のような話ですが、『本当に同じ日本なのか?』と感じたようで、福島県ひとつを取ってもこれだけ違うのだから、他の都道府県も見てみたいと、20歳から2年をかけて、日本全国を野宿の旅に出ました。

『一番印象に残っているのは、四国のお遍路です。本当に辛かったけど、その分充実感もとてもありました。』

25日歩きっぱなしで、血豆の中に血豆が出来る荒行の中、時間の感覚がなくなる程に精神的にも厳しく、何度もくじけそうになったそうです。

しかし、そんな彼を支えていたのは友人に宣言してしまった以上、恥ずかしくて達成せずには帰れないという意地にも似た思いだけでした。

『夢は絶対に口に出すべきです。出来なかったら恥ずかしいから頑張れる、そしてそんな夢を応援してくれる人が現れるんです。』

旅を続ける中で、そんなことを強く感じた彼は、その言葉通りに周りに宣言した日本全国の旅をやり遂げます。

そして満を持して世界に出る準備を進めます。

『どうせ世界に行くなら一周しようと思って、世界一周を決めました。』

私はカンボジアでも世界一周をしている学生に出会うことがありますが、多くは単位をすでに取得していて余裕があったり、休学しているなどの理由を聞きます。

しかし、そんな余裕のなかった当時の彼は教授にかけ合い、『若者が世界に出るべきですよ』と熱く説得し、世界一周の報告会を帰国後することによって単位をもらえるという条件にこぎ着けます。しかも、その報告会はたったの30分というこれもまた漫画のような話で、彼の夢が動き出します。

1カ国目の中国では、''signature''が読めずに出国出来ないという幸先の良いスタートを切り、バックパックには竜馬がゆく全巻と燃えよ剣の上下を詰め込んだ決してスマートとは言えない、半年で12カ国を周る彼の初めての海外旅行が始まりました。

 

インドでは目の前で火葬される光景に厳かな美しさを感じ、モロッコの星空の下では流れ星を楽しみ、ベネズエラのエンジェルフォールでは自然の壮大なスケールに圧倒され、世界一周を満喫します。

もちろんその中で感じたことは多かったそうですが、彼にとって、一番強く印象に残っているのは、帰りの飛行機の中で感じた『あれ、俺やったじゃん』という大きな自信でした。

『日本に帰ったら一歩踏み出す大事さを色んな人に伝えたいと思いましたね。英語も喋れない、そもそも神奈川を出たことすらなかった僕が世界一周出来たんですから。』

そんな思いを抱えたまま帰国した彼は講演家になりたい、何かを伝える人になりたいという新たな夢を抱きます。

ポリシーである『夢は必ず口に出す』という通り、周りにそんな話をしていた彼にある時ひとりの友人が『そんなに講演家になりたいなら、僕が講演イベントを開いてあげるよ』と話を持ってきます。

その友人の話を半信半疑に感じていた彼に用意された講演家としての初めてのステージは十分すぎる程で、130人が集まり、彼はそのステージで自分が旅を通じて感じたことを惜しみなく話し、夢であった講演家になるというスタートラインに立ちました。それは彼が大学4年生、卒業を控えた22歳の時でした。

『給料を貰うというのが嫌だったんです。貰うよりも友達や自分でお金を稼いだりして、部下を持ちたかったんです。あと講演家になるっていう夢もパンパンに膨らむばかりでした。』

その後住宅リフォームの会社に就職するも、一歩を踏み出して、夢を実現させる醍醐味を一度味わってしまった彼にとって、自分の夢に言い訳をして、それらを抑えることは出来ませんでした。

独立をしようと1年の勤務の後退職をするも、その3日後に社長から連絡があり、『お前海外でビジネス展開したいって言ってただろ?カンボジアで社長になってこいよ。』と言われます。

カンボジアということは知らされていなかったそうですが、海外で社長として働く、そんな条件に断る理由もなく、彼は快諾します。

『カンボジアって国に特別な思い入れはなかったんですよ。そもそも電話を切ってから海外ってどこで働くんだろうと気になって、後でカンボジアって聞いたくらいで(笑)。世界一周の時もここではアンコールワットを見たくらいの思い出しかありませんでした。』

正直にそう話してくれた彼は続けて、途上国で働く魅力を教えてくれました。

『ただこの国でビジネスをしていて、発展途上国ならではのやりがいはもちろん感じますよ。

自分たちが何かをすることがダイレクトに感じられる、自分たちの働きが国づくりにつながっているっていう実感があります。』

そんな彼が率いるCONY JAPANの国づくりは止まることを知らず、2013年6月に新たに日本食レストランをオープンさせました。

『雇用を生み出したいんです。もちろんカンボジア人にもそうなんですが、日本の若い子たちが活躍出来るような器をたくさん作ってあげたい。』

当時の社長にしてもらったように若い人を引き揚げることに彼は現在注力しており、積極的に若い日本人の採用を行っているそうで、今後も日本の若い人たちに希望を与えていきたいと語ってくれました。

インタビュー中に、何度も私の口から出たのが、『ラッキーでしたね』という言葉です。

世界一周旅行を計画した時に、授業の出席を不要にしてくれた教授。

講演家になりたいという夢を語っていたところ、130人を集める講演を企画してくれた友人。

1年間働いただけの新卒の若者を社長にして、海外に送り出してくれた社長。

最高のタイミングで、幸運の女神が本当に存在するかのような幸運にめぐまれています。

しかし、インタビュー中も常に絶やさない彼の笑顔や気遣いを見ていると、これらがただのラッキーではなくて、全てが彼の人間力に魅せられた幸運の女神の仕業じゃないのかとさえ感じました。


そんな彼のCafe&Bar CONYがこちら

『カンボジアナビ見ました』で何とビール1杯のサービス特典あり(※お1人様1回限り)

『カンボジアでビジネスをしている日本人で団結したい、CONYがそんな場になることが出来れば嬉しい。』と彼が話す通り、多くの日本人在住者が夜な夜なCONYには集まり、遅くまで笑い声が飛び交っています。

そして満を持してこの2013年6月にOPENさせた二号店 Japanese Dining and Sake Bar ICHIBANはこちら。


 

カンボジア在住者にとっては懐かしさを感じる日本の居酒屋風の内装に、Sake Barの名に恥じない日本酒、焼酎、そしてアサヒ、サッポロなどの国産ビールの数々。そして『お勧めの料理は秘伝のタレにこだわった焼き鳥です。』と自信を持って話してくれました。私も実際に一度頂きましたが、日本で食べるのと同じようなハイクオリティの焼き鳥で、自信を持ってお勧め出来ます。

インタビュー・文:大崎 章弘

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