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カンボジアの伝統格闘技・ボッカタオ

カンボジアの伝統格闘技・ボッカタオ(BOKATOR)

 

ボックは「激しくたたく」、タオは「ライオン」を意味し、ボッカタオは「ライオンを激しくたたく」を意味します。名前の由来は2000年前にライオンが人々の村を襲った時、ある武人が膝の技でライオンを倒したという伝説に由来するといいます。


アンコールワット建造の頃から伝わる武術とされ、かつてはアンコール王国の軍隊で行われていました。

ボッカタオは東南アジアを支配したアンコール王国の強さの源泉と考えられ、12世紀終盤にはアンコール王国の王であるジャヤーヴァルマン7世によって推奨されており、世界遺産アンコールワットにもボッカタオの技が壁画として多く描かれていますので、アンコールワットに訪れる際には探してみても面白いのではないのでしょうか。

当時アンコール王国は東南アジアで最も大きな国で、クメール王国の軍隊は武器がほとんど素手か槍を持っていただけでしたが接近戦になれば、熟練したボッカタオの使い手たちにより、最強を誇りました。現在の中国よりも広大な領地を有し、現タイやベトナムも領土に収めていました。

しかし、クメール王国の衰退と共にボッカタオは衰退していく事となりました。更にその後のフランスによる植民地支配やポル・ポトやクメール・ルージュ時代の弾圧によってボッカタオは一度絶滅します。

ボッカタオがもともとは戦場での戦闘術であったことや、格闘技を習う余裕がある=それなりの富裕層、知識層であったことから殺されたなど様々な理由がありますが、内戦当時はボッカタオを習っていることが当局に分かると殺されました。

この失われつつあった伝統武術の復興を試みたのがサン・キムサンです。

キムサンはポル・ポト時代にタイに亡命し、その後アメリカ合衆国でハプキドーの師範として暮らしていた。しかし彼は度重なる内戦により経済を始め、弱くなったカンボジアという国に見かねて、アメリカで築いた安定も全て捨てて、カンボジアに戻ります。

2001年に帰国し、師範を集めて組織を整備し、2005年にそれまで名前が忘れられていたこのカンボジア武術を「ボッカタオ」と名付けました。

彼の話によると最も辛かったのは、度重なる内戦とポル・ポトの虐殺の傷が癒えないカンボジアの人にとって、ボッカタオを復活させようという動きは暗黒の歴史を思い出させるものでしかなく、再び当局に殺されることになるかもしれないことを恐れて、『私はボッカタオという格闘技なんて知りません』と全員に断られたことだそうです。

しかし、彼は草の根で活動を続け、現在はカンボジアでTVCMにもなっている程ポピュラーになっています。写真はカンボジア国内のエナジー飲料の広告と雑誌の撮影を受けるキムサン氏。

  

国民の三分の一が殺されたとも言われる虐殺により傷だらけになったカンボジア、

現在は貧しい国に分類されるカンボジア、

かつては東洋のパリとも言われ、最強を誇ったカンボジア。

ボッカタオのテクニックは全てキムサンによる手書きの鉛筆で書かれています、

『この国が最も輝いていた時代の歴史を後世に残す義務がある』と言いながら白いノートに書き続けます。

ボッカタオとはカンボジアの人にとって、格闘技以上のクメール民族の誇りなのかもしれません。

  

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