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カンボジアの父

カンボジアの父・シハヌーク前国王

1949年にカンボジアはフランス連合内での独立が認められましたが、警察権・軍事権は依然としてフランスの手に握られていました。これに満足しないシハヌークは離宮に籠もり、「完全に独立が達成されるまで首都・プノンペンには戻らない」と宣言します。国内でも都市部を中心に独立を求める反仏デモが大きく盛り上がりました。国王の強硬な姿勢に驚いた上に、第二次世界大戦で植民地を維持し続ける国力も失ったフランスは遂にカンボジアの完全独立を認め、1953年11月9日、新生「カンボジア王国」が発足しました。

なおシハヌークが国王に即位した時のエピソードとして、当時のシハヌークは若かったため宗主国フランスの言いなりになってくれるだろうという思惑からフランス領の総督の裁定により、即位しています。

これらのフランスの策略をあざ笑うかのように、プノンペンの王宮に凱旋したシハヌークは市民の歓喜の声の中、「独立の父」として国民の尊敬を集めることとなりました。

私は17歳の男の子から『日本が第二次世界大戦でフランスを追い出してくれた。日本が戦ってくれなかったらカンボジアはまだ植民地のままだった。日本が僕らに平和をくれた、感謝している。』と言われたことがあり、年配の方になるとこれらの歴史背景もあり、ほとんどの方が親日です。

話が脱線しましたが、『カンボジアの父』と呼ばれ、多くのカンボジア人に愛され、2012年に死去するも街中の至る所で肖像が掲げられ、未だにカンボジア国民の精神的支柱です。一週間に渡って首都で行われた葬儀で多くの国民が一斉に涙を流している様子は、いかに国民に愛されていたかを物語っていました。余談ですが、この一週間のカンボジアの方のFacebookの投稿では『I love Cambodia』や『Cambodia forever』などと題した葬儀の写真アルバムが数多くアップされており、長く続いた内戦を乗り越えて、新しい時代に向けて、改めて一致団結するカンボジアの人々の姿を感じました。以下は葬儀の様子です。

   

昨年10月に89歳で死去したカンボジア・シアヌーク前国王の一連の葬儀式典が1日、首都プノンペンで始まった。前国王のひつぎは王宮から送り出され、市内を回った後、王宮北側に特別に設けた火葬場に移された。4日に荼毘(だび)に付される。
 「独立の父」「国民統合の象徴」として敬愛された前国王に最後の別れを告げようと、沿道には多くの市民らが早朝から並び、あらためて哀悼の意を表した。市当局者によると、9万人以上が集まったとみられる。
 式典の様子は全ての地元テレビ局が生中継。最高の敬意を示す101発の弔砲が撃たれた。ひつぎは36の黄金の竜頭をかたどった特別車に載せられ、政府や軍、王室などの代表計約2千人が取り囲むようにして約6キロ行進した。
 4日の火葬には秋篠宮さまが参列される。〜共同通信ニュース2013年2月3日より引用〜

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