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植民地〜独立の歴史

19世紀中頃からフランスによるインドシナ半島(インドシナ)の植民地化が始まった。

1863年8月11日、フランスはカンボジア王国との間に「修好、通商及びフランス国の保護に関する条約」を締結。カンボジア国王プラ・マハー・アパラッチは同王国に対するフランスの保護権を認めた。

1866年にウドンからプノンペンにあるチャドモックに首都が移転される。

1867年7月15日、歴史的にカンボジアの宗主国であった暹羅(シャム=現在のタイ)国が、カンボジアに対するフランスの保護権を承認。(「カンボジア王国の地位を定めるためのフランス国暹羅国間条約」)

1887年にはカンボジアがフランス領インドシナに編入された。

1907年3月23日、フランスは暹羅との条約により、バッタンバン、シェムリアップ、シソポンの各地域をクラット港一帯の島嶼と交換し、カンボジア全土を獲得した。 1916年には地方から集まった4万人もの農民がプノンペンの王宮前に集まり、シソワット王に直訴した。 1925年にはコンポンチュナン州の農民たちが徴税中の理事官パルデスを暗殺した。この事件はフランス人たちを震撼させた。

1940年5月から6月にフランスはナチスに侵攻され、7月にヴィシー政権に移行すると、8月30日には日本との間に「政治軍事・経済協定」(松岡・アンリ協定)を締結し、9月からの日本軍によるフランス領インドシナ進駐を認めた。11月23日、カンボジア、ラオスの領土をめぐりタイ・フランス領インドシナ紛争が勃発。その後も紛争は拡大していったが、1941年5月9日、日本の居中調停によりタイ・フランス両国間で平和条約(東京条約)が結ばれ、カンボジアの一部、チャンパーサック県・バタンバン州及びラオスの一部、シェムリアップ州がタイに割譲された。 1941年11月、ノロドム・シハヌーク(18歳)が王位に就いた。 1945年3月12日、ノロドム・シハヌーク(シアヌーク)王は、日本軍の明号作戦に呼応する形で、カンボジアの独立を宣言。しかし、日本が連合国に降伏すると、1946年には再びフランスの保護下に戻り、独立は消滅してしまう。

シハヌークは粘り強く独立運動を続け、1947年には憲法を公布、1949年にフランス連合内での独立を獲得した。1953年には警察権・軍事権を回復し、シハヌークはフランス、アメリカ、タイを回って世界世論に訴えかけ同年11月に完全独立を果した。

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