ホーム > 基本情報 > 歴史・国家体制

歴史・国家体制

歴史

19世紀後半〜20世紀中頃のフランス統治の後に1953年に国家として独立します。1970年代の

クーデーターによる親米のクメール共和国の成立、クメールルージュによる軍事支配体制時代、国連統治機構による管理を経て(このあたりは複雑で隣国ベトナム、ベトナム戦争で敵国のアメリカ、そしてアメリカと対立するソ連、共産主義の中国との関係性で、反○○政権、親○○政権と政権が取って代わっていた状況でした)1991年10月23日パリ和平協定が締結、1993年9月24日に憲法制定され、立憲君主国「カンボジア王国」が成立。

国家元首

国家元首 ノロドム・シモハニ国王

首相 フンセン首相

※シモハニ国王は1953年にあるシハヌーク前国王が日本を訪問の後にカンボジアに帰国した日に誕生したためトウキョウという愛称が与えられている。

シモハニ王子の父・シハヌーク前国王。『カンボジアの父』と2012年に死去するも街中の至る所で肖像が掲げられ、未だにカンボジア国民の精神的支柱です。一週間に渡って首都で行われた葬儀で多くの国民が一斉に涙を流している様子は、いかに国民に愛されていたかを物語っていました。余談ですが、この一週間のカンボジアの方のFacebookの投稿では『I love Cambodia』や『Cambodia forever』などと題した葬儀の写真アルバムが数多くアップされており、長く続いた内戦を乗り越えて、新しい時代に向けて、改めて一致団結するカンボジアの人々の姿を感じました。以下は葬儀の様子です。

   

昨年10月に89歳で死去したカンボジア・シアヌーク前国王の一連の葬儀式典が1日、首都プノンペンで始まった。前国王のひつぎは王宮から送り出され、市内を回った後、王宮北側に特別に設けた火葬場に移された。4日に荼毘(だび)に付される。
 「独立の父」「国民統合の象徴」として敬愛された前国王に最後の別れを告げようと、沿道には多くの市民らが早朝から並び、あらためて哀悼の意を表した。市当局者によると、9万人以上が集まったとみられる。
 式典の様子は全ての地元テレビ局が生中継。最高の敬意を示す101発の弔砲が撃たれた。ひつぎは36の黄金の竜頭をかたどった特別車に載せられ、政府や軍、王室などの代表計約2千人が取り囲むようにして約6キロ行進した。
 4日の火葬には秋篠宮さまが参列される。〜共同通信ニュース2013年2月3日より引用〜

Copyright ©カンボジアナビ All Rights Reserved. Powered by United Futures, Inc.